しなやか人生デザインカウンセラー
佐藤のり
※プロフィール画像は、感謝の意を込めて、カウンセリングを受けてくださった漫画家が描いてくださいました。
繊細で優しい部分を、黄色の快活さが補ってサポートしてくれるイメージとのことです。実物は、落ち着いていて安心感があると言われることが多いです。
はじめまして。内向的な人のためのトラウマ解消と人生デザインのカウンセリングを行っているしなやか人生デザインカウンセラーの佐藤のりと申します。
僕は、漠然とした不安や失敗への恐れから
「自分をさらけ出すのが苦手」であり「今までの生き方に疑問を感じて」いて「将来への迷いがある」人が、
本来の才能を活かして自分らしく生きられるようになるサポートをしています。
もし、今、自分らしく生きられていないと感じている場合は、もしかしたら本来持っているご自身の性質が、育ってきた環境や社会にあっていなかったり、
子どもの頃からずっと背負ってきた心のキズが原因の一つとなっているのかもしれません。
また、それらが原因で本来の自分らしさをだせずに、自己肯定感が低くなってしまっている可能性もあります。
このような状況の中でも、何とかこれから理想の自分&生き方を実現していきたい!と思われた場合には、
まずは、
1.心のキズを癒す
そして、
2.理想の生き方(思考と行動)を習慣化する
の2段階でのアプローチが必要だと考えています。
そのため、僕の提供するカウンセリングでは、
・カウンセリングで「心のキズ」を癒す
・メンタリングで「理想の生き方(思考と行動)」を設計していく
という順番で、伴走をしながら、あなた本来の才能を生かした人生の実現をサポートしています。
カウンセリングはカウンセラーとの相性が一番肝心
しかし、いかに優れたスキルのカウンセリングを行ったとしても、ご相談者が安心してリラックスしてカウンセリングを受けることができなければ、カウンセリングやメンタリングの効果をあまり得ることができません。
カウンセリングで最大限の効果を得るには、この安心感の感じられる環境と、ご相談者であるあなたとカウンセラーである僕との相性が非常に大切なポイントとなります。
そのため、ここでは僕がどんな人生を歩み、どんな悩みを持ち、なぜカウンセラーになったのかを詳しくまとめてみました。
ご興味を持った方、あるいはカウンセリングを受けるか迷っている方はぜひ最後まで目を通してみてください。
幼少期からの様々な出来事を書きましたので、とても長くなっております。(ごめんなさい)
略歴もはプロフィールのページの一番最後にありますので、お時間ない方は略歴だけお読みいただければ嬉しいです。
また、プロフィールを読んでみて、もし少しでも僕のカウンセリングに興味を持っていただけたら、まずはお気軽にお試しカウンセリングをお申し込みくださいね。
↓ 詳しいプロフィール ↓
内向的な性格があまり理解されなかった幼少期
僕は、幼少期から、両親、親戚、友達の親などまわりの人から、いつもニコニコしていて、大らかそうと思われていました。
すでにその頃から、期待にこたえなければ!、まわりに合わせよう!
と無意識に思っていたのか、まわりの空気を感じつつ、明るくふるまおうとしているような子どもでした。
しかし、実際は甘えたり自己主張ができなく、内向的かつ繊細でストレスをためやすい性格の子どもだったのです。
今でも、両親ですらそんな当時の自分の心境を信じてもらえないのですが・・・苦笑)
幼稚園では先生にトイレに行きたいということが出来ずに2回もお漏らしをしてしまい、恥ずかしいやら情けないやらの記憶が未だに残っています。
ストレスと不安をかかえはじめていた小学生
また、小学校に入学してすぐに環境の変化からか、ストレスが原因と思われる腹痛にみまわれました。
あんな腹痛は後にも先にも経験したことがなく、夜中にもがき苦しんだことは今でも鮮明に憶えています。
この時は、病院での検査でお腹にガスが溜まってることは判明しましたが、原因はわからないまま一週間の入院をすることになりました。今、振り返ると慣れない環境でストレスが溜まっていたのだと思います。
春の遠足にも行けずに、なんだか取り残された感じがあり、友達ができるのかな~?など、漠然とした不安を感じていました。
また入院中は母親を寂しい気持ちがありましたが、その感情を母親にも見せないように、
同じ部屋で入院している他の子どもや看護師さんと仲良くやっているようにふるまって過ごしていました。
担任の先生からの叱責がつづいて自己肯定感が急降下
小学3年生になり、新しい担任の先生となってから、なにかと先生から叱られる場面が急増しました。
今まで通りに過ごしているつもりなのに、何をやっても、みんなの前で立たされて
「お前は悪ガキだな!」
と叱責された記憶が今でも鮮明に残っています。最初の頃は違和感が沢山ありましたが、そのうち自分は悪い人間なんだなーと思いはじめて、自己肯定感が急に下がってしまいました。
小学4年生になって、また別の担任の先生となったのですが、机の中が汚い、カバンの中に色々入っていると、教室の前でみんなの前で机の中やカバンの中をみせながら、汚いものをみるような目でみながら、叱られたときは本当につらくて涙をこらえきれませんでした。
ますます、自分はダメな人間だという気分になっていきました。
また、この頃から両親のケンカなどにも気がついたり、母親が感情を取り乱したりしている状況を目の当たりにする機会が増えていく中で、
この先どうなってしまうんだろうという漠然とした不安を感じるようになっていきました。
けれども、誰にもそんなつらい自分をさらけだすことができないまま時間だけが過ぎていきました。この頃は男の子は泣くなんて恥ずかしいという価値観が一般的だったので、その環境で我慢していたのだと思います。
いろいろとつらいことはあったのですが、小学生の子どもらしく、この頃は仲の良い友達と遊ぶことが何よりの楽しい時間であり、救いの場でした。
まさかの友達からのイジメで自分を出すのが怖くなった中学生
しかし、中学生になって早々に友達との関係が大きく変わる出来事がありました。
なんと、イジメの的になってしまい、みんなから無視されてしまい仲間外れとなったのです。
まさか、自分がイジメにあうなんて、まったく思っていなかったのと、心の拠り所の友達を失った喪失感が大きく、
ショックと悲しみと辛さで、長い間抱えることになる大きな心の傷となってしまいました。
この時も、どう対処すればわかりませんでしたが、その悲しいとかツラい感情を誰にもだすことができずに、
自分の内側にため込んだまま過ごしていきました。
その後も仲良しグループの何人かの友達とは一緒に過ごしていましたが、この出来事以降、心の扉を閉めて、なるべくしゃべらずに、
自分をなるべく出さずにいることで、自分を守りながら生きはじめていました。
この頃は、勉強もできず成績も良くなく、また、肥満になり部活にもついていけずに、サボりがちになったり、
女の子にもモテずに、まわりと比べて自己嫌悪感をものすごく持ちながら生きていました。
また、部活で失敗した時にみんなの前で先生にどなられたこともトラウマとなり、失敗することへの恐怖感が深まったのもこの頃でした。
イジメやら周りとの比較からの自己嫌悪、どなられた恐怖体験と、この頃の事は、自分の中の黒歴史である、と、ずーっと思っていました。
母親のうつ病の発症と家族別れての生活
忙しくすることで気をまぎらわせていた高校生
相変わらず、ありのままの自分を出せないままでの高校に入りましたが、
今度は入学してすぐに母親がうつ病を発症してしまい、しばらく故郷の地で療養することになりました。
当時、甘えん坊だった弟も、母親と一緒についていくことになり、父親と二人だけの生活がしばらく続きました。
特に父親との関係が悪かったわけでもありませんが、自営業で忙しく、決まった休みもなかったのと、
それまでも父親と二人で沢山話をするということもなく、思春期も重なって、ほとんど会話のないまま過ごしていました。
この家族はどうなってしまうんだろう?という不安を感じていましたが、その当時は、悩みを打ち明けようとかの発想はまったく浮かばず、
ただただ不安を抱えたまた過ごしていました。人とあまり話しないバイトとか受験勉強とかで、
心身ともに忙しい時間を過ごしたことで、不安を封印したまま過ごしていったのでした。
将来やりたいことが分からない、、、先の見えない大学生
将来やりたいことが分からず、それを見つけるためにという名目で、まわりに合わせるように大学(理系)に入ったのですが、
入学後もあまり勉強もせず、将来を深く考えないまま時間が過ぎてしまいました。
まわりが少しずつ就職活動を始めていく中で、これまで先延ばしにしてきた、社会にでて何をするか?ということに、
いよいよ向き合わねばならなくなりましたが、やりたいことや、得意なことが良く分かりませんでした。
大学生活でだらけてしまった罪悪感もあってか、人に認められたい!すごいと思われたい!、人と違うことをしたい!
と考えるようにもなっていて、会社員だけでなく、消防官、警察官、自衛官など、やみくもに就職活動してました。
悩みや不安、恐怖感もありましたが、家族、友達、研究室の教授も含めて、誰にも打ち明けないまま、順調にいっている素ぶりで就職活動してました。
コミュ障であると感じた就職活動、、、面接で会話ができない、、、
内向的であり、友達も少なく、先生など大人とのコミュニケーション不足だったこともあり、入社面接は大苦戦を強いられました。
特に一番最初の面接の時は、緊張しすぎて、声もうわずり、返答も支離滅裂で、会話のキャッチボールがまったく出来ませんでした。
その時の面接官の苦笑いと哀れんでいる表情は未だに忘れられずに脳裏にしっかり焼きついています。。。
当然、その会社は不採用となりましたが。
それよりも、まったく面接で会話のできなかった自分の不甲斐無さ、みじめ感、社会人になれないのではという不安感でしばらくは落ち込みました。
悩んだ末に選んだ最初の仕事は営業!人生逆転を夢見る!
そんな状況ではありましたが、少し時間をおいて気を取り直してから、何社か入社試験を受けていく中で面接も慣れていき、
就職活動の後半には、本来の内向的なそぶりを見せず、外交的で明るくハキハキとした自分を演出できるまでになり、数社から内定をもらうことができたのでした。
最初は、本来の内向的な自分に合いそうな、あまり人とのコミュニケーションの必要がない技術系の仕事にしようと思っていました。
しかし、色々と悩んだ末に、自分を変えたい一心が強く、苦手の克服と挑戦で選んだのが、
外交的な態度の面接で勝ち取った、本来の自分には向かなそうと思っていた外資系の会社の営業職でした。
内定をもらってから入社するまでの間は、社会人としてバリバリ活躍する姿を妄想していました。
現実とのギャップ、、、慣れない仕事のストレスで十二指腸潰瘍に、、、
自分が変われるかもしれない!とワクワクした気持ちで入社したものの、世の中そんなに甘くありませんでした。
営業としてのコミュニケーションが上手くとれずに、無力感を感じて自信を失いました。
自己否定をする時間が増え、危機感、不安を抱える時間が増えていき、寝る前には強烈な不安感に襲われました。
まさかとは思ってましたが、その当時にサザエさん症候群と言われていた、日曜日の夕方の憂鬱を感じるようになっていました。
また同じ頃にプライベートでも辛いことがありました。親友でもあった、学生時代からの彼女との別れがありました。
ありのままの自分でいられる非常に限られた人との別れでしたので、喪失感がものすごく大きくお先真っ暗に感じていました。
世の中には自分の力ではどうにもならないことがあるという、無力感と悲しみとあきらめを心の底から感じた出来事でした。
この仕事とプライベートのダブルパンチによるストレスがじわりじわりと身体を蝕んでいたようで、気がついたら十二指腸潰瘍を患っていました。
自己啓発、自己投資による挑戦した20代
不安から目を逸らし続けてしまっていた
この頃はまだ弱い自分、ダメな自分、ありのままの自分を受け入れることができず、
逆に、ストレスから病気になった自分が情けなく嫌いで、自分を責めていました。
この状況を打破していくには、自分を変えていかねばならない、強くならないといけない!と思っていました。
自分の天職とはなんだろう?、このままの生き方で良いのだろうか?、人生の目的ってなんだろう?
と、今の自分の生き方に疑問を感じはじめたのもこの頃からでした。
そこで出会ったのが、、、自己啓発&自己投資でした!
紙に書くと想いが叶うという本にであったところから始まり、
高校生くらいから感じていた、やればできるという自信だけを頼りにして、
仕事をしながら社会人に必要とされると思われたスキルや知識(英語、簿記、パブリックスピーチ、エンジニア系の様々な資格など)を身につけていくことに注力していきました。
ひたすら外交的にふるまい、スキルや知識のある自分を武装していき、
忙しく過ごしながら、成長感や達成感を求めて、心の不安から目をそらし続けていったのでした。
自己啓発、自己投資の成功と挫折を味わった30代
ストレスで中学生以来の肥満に逆戻り、、、
自己啓発、自己投資のおかげもあってか、営業での成績もあがり、社長賞を受賞することもできました。
そして、更なる挑戦がしたくなり、まったく違う分野の業界、職種への転職をしました。
新しい職場でも、外国人の上司に認められ、成長している感じがありました。
また、同じ頃に結婚して、マイホームを購入して、望んでいた娘も誕生しました。
そして、夢の1つであった海外駐在も実現して、人生が順調に進みはじめたなと思っていました。
しかし、海外駐在中に大きな壁にぶちあたりました。
今まで自己啓発、自己投資で培ってきたと思われた力が通じなかったのです。
大きな挫折感を味わい、いままで培ってきた自信を失ってしまいました。
この時も知らず知らずのうちにストレスがたまっていき、中学生以来の肥満に逆戻りしてしまい、健康診断でも色々な検査で引っかかり、身体へ影響がではじめました。
内向的な自分が認められない、好きになれない苦しみ
外向的になろうと思って努力しても、できない、、、
誰とでも仲良くできて、友達も沢山いて、社交的で、大人数の前でも堂々と自信を持っている、
そんなイメージの外交的な人を目指して、自己啓発、自己投資を行ってきた訳ですが、
海外駐在中にまわりの人の自分の印象を知る機会があったのですが、大多数からの回答は、、、内向的でした。
これはとてもショックでした。その当時は、内向的に対してマイナスのイメージしか持っていなかったのと、
外交的な自分を目指しながら自己啓発や自己投資をしてきたつもりで、どんどん近づいていると思ってましたので。
しかし、周りからは内向的と思われていたことで、今までの努力が水の泡になったと感じ、
またそんな内向的な自分を認めることも、好きにもなることもできませんでした。
再び自己啓発、自己投資をはじめた30代後半
これでしか不安や恐怖になる時間から目を背けられなかった、、、
失意の心で3年間の海外駐在は終わり、帰国後もしばらくは将来への漠然とした不安を抱えながら仕事を続けていました。
そんな時に2011年の東日本大震災を経験しました。
人生何がおこるか分からないと強く感じながら、漠然とした不安に悩みながら、これからどうしようかと再び感じはじめていました。
悩みながらたどり着いた結論は、再び、自己啓発、自己投資をする!ということでした。
今回も何か大きな挑戦をしようと、MBAに挑戦しながら、同時にパブリックスピーチ、パーソナルトレーナ資格取得とひたすら学び続けました。
仕事と勉強、家族との時間、と、あまり深く考える時間もないまま、多忙な日々を過ごしていきました。
こうすることによって、成長感や達成感を求めながら、不安や恐怖になる時間から目を背けられることを経験から知っていたからです。
この時の僕にはこれしか選択肢が浮かばなかったのです。
自己啓発、自己投資だけの限界を感じた40代
初めて自己肯定感が低いままであったことに向き合えた!
この自分の心の葛藤を、この頃に出会った、数少ない、ありのままの自分で話ができる親友に打ち明けてみました。
そうすると、自己肯定感(条件なしで、欠点、弱い部分も含めたありのままの自分を受け入れる)が低いのが原因では?と優しく伝えてくれました。
それまでは、自分の欠点や弱い部分が嫌いで、ひたすら変えていくことだけに取り組んでいました。
しかし、40年以上の人生を経て、この時になってようやく、
そんな自分を認められずに、自己肯定感が低くなっているということに素直に向きあい、受け入れはじめることができたのでした。
いつまでも漠然とした不安や失敗への恐怖感がなくならないのは、
ありのままの自分を受け入れずに生きてきたからだということが、ようやく心の底から納得できたのです!
自己肯定感が低かった原因にたどり着く、、、
内向的な性質の否定と子供の頃に背負った心のキズ
では、なぜずーっと自己肯定感が低かったのだろう?と、その原因を辿っていく中で大きく2つの原因に辿り着きました。
1つ目は、生まれ持った内向的な気質を否定し続けていたこと
2つ目は、子どもの頃に背負った心のキズが癒えていなかったこと
です。そして、今までの自己啓発や自己投資は、これらのことを否定あるいは目を背けるために、
どちらかというと、社会で求められていることへの取り組み=他人軸や、まわりからの評価=承認欲求が中心で取組んでいたことにも気がつきました。
自分軸=自分の好きなことで生きはじめる!
人生が良いサイクルでまわりはじめる!
自己肯定感の低さに気がついてから、まず最初に取り組んだのが、他人軸のスキルアップではなくて、
人生にとって自分が何よりも大切に思っていること、好きなこと、心が喜ぶこと、癒していくことを優先していくことでした。
その1つではじめたのが副業です。
以前からマンツーマンで何かを伝えるということに興味があったこともあり、
オンラインで運動、ダイエット、FP(ファイナンシャルプラン)、悩みの相談を行いはじめましたのです。
この副業を通じて、背中をそっと押して一歩前進させるお手伝いをすることに、とてもやりがいを感じることができました。
そして、今までの仕事の中でも、人の相談に乗り、
その人の成長や一歩前進のサポートをすることに喜びを感じていたことを認識できて、
これが自分のやりたいことであると自覚できました。
副業を通じて、小さなことでも他者の役にたつことができる喜び(自己有用感)を日々意識することができるようになっていきました。
遂に内向的な自分を受け入れられるようになる!
心の安定、静かなる幸福感が心にしみわたる
自己肯定感の低さの1つの原因であった、生まれ持った内向的な気質を否定し続けていたことに関しても、変化があらわれはじめました。
それまでは、外向的=良い、内向的=悪いというふうに捉えていたのですが、
ちょうどYouTubeや書籍などで、内向的な性質の良いところが取り上げられるようになってきており、
むしろプラスに活かして活動している人達が沢山いることを知りました。
こういった動画や書籍などを読み進めていくうちに、いかに自分の価値観が一方に固まっていたのか、
ということに気がつくことができたのと、
どちらが良い、悪いの、問題ではなく、それぞれの人の持っている性質や性格を尊重して活かしていくことの大切さを実感することができました。
この事に気がつくことによって、自分の生まれ持っての性質を大切にしようという気持ちが育っていきました。
コロナ過においては、在宅勤務となり、より内面に向き合う時間が増えたのですが、
この時は内向的な僕にとても相性の良い、呼吸法、散歩、瞑想と自分の内面に向き合う習慣を身につけていくことができました。
このおかげか?内向的な自分であることをより一層、認めることができるようになりました。
心のキズを癒す、カウンセリングとの出会い
トラウマ、HSP、愛着障害、自分にもあてはまっていたとは、、、
そして、自己肯定感の低さのもう1つの原因であった、
子どもの頃に背負った心のキズが癒えていなかったことについても、いよいよ向き合える時がやってきてました。
きっかけは、前から興味のあった心理学を学びはじめたことでした。
心理学的なアプローチでなにか変化がありそうな予感を感じていたのでした。
そして遂に実際にカウンセリングを受けながら、学ぶ機会が得ることができたのでした。
カウンセリングでは、まず最初に安心、安全に弱い自分をさらけだして受け入れられている場であるということを感じることができました。
僕の本当に数少ない、ありのままの自分で色々と話ができる友人との時間のような感覚でした。
何でも話ができるがあること感覚を感じることができ、そして色々なカウンセリンワークを通じて、心がやすらぎ、
子どもの頃にキズついた心も癒されていっている感覚がありました。
また、心理学を学ぶ中で、小さい頃から悩んでいたり、苦しんでいたことは、自分のトラウマ、HSP、そして愛着障害(主には回避型で、不安型の傾向もあり)に関連していたことも学びました。
自分にはまったく関係ないと思っていたので全然気がつきませんでした、、、以前であったら、まっこうから否定していた気がしますが、この頃にはそんな自分も自然と受け入れられるようになってきていました。
自然と自己肯定感が高まり安定する!
ありのままの自分を受け入れるようになり、そして子どもの頃に背負った心のキズが癒えていくなかで、
・自己啓発、自己投資しないと社会から見放される。。。
・失敗してはいけない。。。
・ありのままの自分でいると人から受け入れてもらえない。。。
と、いったことも、自分の思い込みが強すぎたということに気づくことができました。
これによって、自然と自己肯定感が高まっている(安定している)手がかりをつかんでいったのでした。
自分の人生に足りなかった要素はこれだった!と心の底からの感動をおぼえたのを今でも鮮明に覚えています。
改めて振り返ってみると、今までは、小さい頃のダメだった自分、内向的な性格、日々の不安や失敗、恐怖感に対して、
自分にダメ出しして、活を入れて行動していく、お父さん的なアプローチをずっとしていました。
しかし、そんな部分も含めて、まずは自分で条件なしに受け入れる、
お母さん的なアプローチがまったく出来ていなかったことが分かりました。
そんな、お母さん的なアプローチをカウンセリングから得たことによって、
自分に優しくなっていき、そしてまわりの人への優しが増していくように感じ、
子どもの頃にキズついた心が癒されていったのでした。
理想の自分&生き方を設計するカウンセリングを提供スタート!
生まれてから50年近くたってようやく、自己啓発、自己投資で培ってきた、やれば出来るという自信(自己効力感)、
小さなことでも他者の役にたつことができる喜び(自己有用感)、
そして条件なしで自分を受け入れる心(自己受容感)をつかんだことで、
自己肯定感に必要なすべてのピースが揃って、自然と自己肯定感が安定する土台ができたと感じました。
また、心が調っていく中で、自分の大切にしている価値観がより明確になっていきました。
僕の場合は、心身の健康、学びと経験、信用・信頼の3つを大切にしていることの理解が深まりました。
本来であれば、まずは心のキズを癒す、お母さん的アプローチからはじめて、
自己啓発、自己投資を含む様々な行動をする、お父さん的アプローチの順番が理想だったと今では思っておりますが、
僕は順番を逆に生きてきたため、土台ができるのにだいぶ遠回りしてしまいました。
心の両輪を手にいれられたことにより、自分を癒しながら、
自分軸を大切に、自分の持てる能力をフルに使いながら生きていく方法を設計して、
それに従って日々行動して過ごしていけるようになり、今後の人生をしなやかに生きていく自信を得ることができました。
これまでの自分自身の経験、心理学、カウンセリング、メンタリングなどの学びを通じて、
じぶん本来の才能を活かして生きていくにあたっては、
1.心の安全基地という環境
2.心のキズを癒す手法(お母さん的なアプローチ)
3.具体的な行動支援(お父さん的なアプローチ)
の3つを順番に持っていくことが大切であると思っています。
人に頼ったり、甘えたりするのがとても苦手な僕は、しばらくの間は自分ひとりで、この心の問題を解決しようとしていましたが、
残念ながら解決することができませんでした。
しかし、カウンセリングに出会い、心の問題が解決していった今となっては、
早くからカウンセリングを受けていたら良かったと感じています。
もし、僕と同じように、内向的な自分が好きになれないとか、
小さい頃からの心のキズが癒えておらず、心の悩みを抱えている人がいるようであれば、
何かお役に立てることがあるのではないかと思い、
心のキズを癒しながら、理想の自分&生き方を設計して、実現に向けて伴走していくカウンセリングを提供するにいたりました。
誰もがありのままで才能を活かして笑顔で幸せな世の中にしたい
僕は子どもの頃から、ダメな自分を受け入れられずに、
がむしゃらに自己啓発と自己投資で鎧をまとい守りながら、
心の中の不安や恐怖と向き合わずに生きてきました。
しかし、これからも一生、一緒にいる自分自身を、ダメな自分も含めて優しく受け入れながら、
いろいろな挑戦を支えていく、一番の応援者が自分になろう!
と思えるようになったことで、心がとても穏やかに安定してきました。
漠然とした不安や、失敗への恐怖感などから、自分をさらけだすのが苦手であり、
今までの人生に疑問を感じて、将来への迷いがあるかもしれません。
しかし、カウンセラーと伴走しながら、過去に背負った心のキズを癒し、自己肯定感を高めていきながら、
ありのままの自分で日々コツコツと行動していくことによって、
理想の自分と生き方を実現していくことが可能であると信じています。
誰もが、ありのままの自分で本来の才能を活かして、笑顔で幸せを感じている世の中
これが、今の僕の目指している世界です。
子どもの頃から背負っている心のキズを癒すことで、自己肯定感が自然と高まり、あなた本来の才能を活かした人生がはじまる
理想の自分&生き方を設計する「しなやか人生デザインカウンセリング」
もしあなたが変わりたいと思っているのなら、ほんの少しの勇気を出して一歩踏み出してみてくださいね。
安心安全の場で、あなたをサポートしていくことをお約束します!
略歴
しなやか人生デザイン カウンセラー
佐藤 徹也(てつや)
1973年横浜市生まれ 内向的で空気を読む繊細な心の幼少期。
小学校に入学早々にストレスからの腹痛で入院。小3、小4と続けて担任の先生にみんなの前で叱責されることが続いて自己肯定感が急激にさがる。
中学校の仲良しグループ内でイジメにあい、対人恐怖症に。また、勉強も部活も中途半端で肥満にもなり自己嫌悪となる。
両親の不仲、母親のうつ病など、家庭環境に不安な時期もあり、幼少期から人に頼ったり甘えられないまま社会人になる。
社会人の2年目に慣れない仕事と彼女との別れからストレスで十二指腸潰瘍になる。
40代半ばまで自己啓発と自己投資で、自分の殻をどんどん作りながら、
不安や恐怖から目を背けたまま生きてきたが、なんども繰り返すうちに限界を感じるようになる。
そんな中で自己肯定感の低かったこと、
子どもの頃に背負った心のキズが癒えていなかったこと、
内向的な自分を否定し続けていたことが原因であったと気がつく。
気がついてからは、好きな事に取り組みながら内向的な良さを実感できるように。
その後、心理学、そしてカウンセリングと出会い、カウンセリングを通じて心のキズを癒していくことにより、
ダメなところも含めて自分を受け入れられるようになり、本来の自分らしさを活かした人生を設計しながら生きはじめる。
人の一歩前進に伴走する生き方に使命を感じ、
誰もが笑顔で本来の才能を活かしてありのままの自分で幸せを感じている世の中を目指していきたいと思い
心理カウンセラーとして活動開始
主には、今までの人生に疑問を感じて、将来への迷いが生じている内向的なひとのために、
子どもの頃から背負っている心のキズを癒して、理想の自分で生きていく
しなやか人生デザインカウンセリングをオンラインで提供している。